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【永井玲衣さん、サッカー通への道。】第4回 サッカーを楽しむとはどういうことなのだろうかと考える。

仕事であれ趣味であれ、自分に縁遠いと思っていたことでも、思い切って触れてみることで意外な面白さを発見することがあります。この企画では、幼少期から現在までもっぱらスポーツに疎い人生を送ってきたという哲学研究者の永井玲衣さんに、初めて試合観戦を体験してもらい、その紆余曲折を全4回のエッセイで綴ってもらっています。

最終回は、“サッカーを楽しむ”を、考えます。連載を通じて、テレビ観戦やスタジアム観戦を体験したものの、はたして自分はサッカー通になれたのかと疑問が残る永井さん。しかし、知らないからこそ見える楽しみ方は、たしかに存在したのです。



最近おかげさまで、行く先々でこの連載に触れられることが多い。サッカーの試合観戦したんですか。サッカーの論文読んだらしいですね。ルールは把握しましたか。

質問をしてくださる方々は、サッカー好きもいれば、わたしのようなひともいて、それでもなお「サッカー」という話題で盛り上がることのできる凄さを知る。あれやこれやと話をし、一段落ついたところで、彼らはビー玉のような瞳を向けてわたしに問う。

 結局、永井さんはサッカー通になったんですか?

それはこっちが聞きたいのである。

そもそも通とは一体何なのだろうか。他称だろうか。自称だろうか。不遜にも自称することはできそうだが「ルール理解しました?」という質問をその手前にされている時点で、通までの道のりはまだありそうなことがうかがえる。

事実、戦法やルール、選手、試合の種類などは、前向きな表現を使えば、まだまだ研究のしがいがある状態だ。5月にはじめてワールドカップの予選試合を観戦した新人である。

だから、このように問うことにしたい。

 サッカーを楽しむとは、どういうことなのだろうか?


前回の記事でわたしは「サッカーとは文脈のある全体性」だと書いた。そう、サッカーはたった一瞬のスーパープレイだけではない。90分全体を通しての表現の過程である。さらに言えば、試合観戦に向かう時、わたしのサッカーはもう既に始まっていたのだ。蘇我駅に降り立ち、選手でもないのに始まる前から汗だくになり、スタジアムを迷いながら目指し、なぜかスポーツドリンクを誰よりも飲んでいた時から。

いや、もっと前からかもしれない。はじめて動画で試合を見た時から。動画を再生する前に、あれやこれやと試合を想像していた時から。いや、サッカーという単語をネットで検索していた時から。小学校の頃の、どうしようもないサッカーの授業を思い出していた時から。生でサッカーの試合を観戦する、ずっとずっと前から。

わたしの生活の中に、サッカーがするりと滑り込む。そしていつの間にか、どっかりと腰をおろして、わたしを見つめている。よく知らないけど、なんだか気になるあの子のように。気がつけば視界に入って、もう二度と忘れられないあの子のように。


先日の試合観戦は無観客のため、記者席で特別に見ることができた。関係者用の首から下げるストラップを受け取る。これがないと、怪しいひとになってしまう。何気なく目をやると、わたしの名前と共に「会社名」の欄に「哲学研究者」と書かれていた。

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サッカー関係者の哲学研究者。怪しさ満点である。だが同時にとてもうれしい。世界はもっと、こういうわけのわからない人が、当たり前の顔をしてのうのうと座ってもいい。サッカーとは何だとおそるおそる近づいたわたしを、あっけなくサッカーは包み込んでしまった。まあとにかく見てみなよ、面白いからさ。そう言われたような気がした。

試合が終わるが、サッカーは終わらない。終わったあともつづく。それは、わたしの中でやはりまだ息をして、生きている。

通になったのかはわからないし、多分、というか絶対なってはいないのだが、今ならわたしはサッカーの面白さを知っている。選手以外も含めた多くの人々の仕事も。試合以外の出来事を含めた様々な要素も。今は、知っている。


永井玲衣さんプロフィール (1)


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