見出し画像

【サッカーと働く】第2回 真の「中の人」歴15年。どんな人も笑わせたい、気遣いの人

はじめに この連載はこんな思いでまとめています

第1回で紹介した平井徹部長が「サッカー日本代表の勝利の裏にこの人あり」と評した、強化育成部/JFAヨーロッパオフィスダイレクターの津村尚樹に話を聞きました。

画像1
プロフィール

サッカーと働くチャンスは、人と人のつながりだった

サッカーは小学生の時にはじめて、大学生まで続けていました。出身は北海道の室蘭なのですが、サッカーの街と言われているほどサッカーが身近で、兄貴がサッカーをやっていたこともありごく自然にはじめた感じだったと思います。
サッカーの仕事は、2002年にコンサドーレ札幌でスタートしました。大学は東京に出ていたのですが、高校時代に室蘭の公立高校でキャプテンをやっていた頃にお世話になった監督のつながりで、卒業する少し前からトップチームのサブマネージャーとして働き始めました。

本当は当時、鍼灸の専門学校に行こうと思って受験していたんです。大学の時に前十字靭帯を切って1年くらいプレーできず、その時に怪我とかリハビリに興味を持って。トレーナーの方の手伝いなどもしていましたが、中途半端な知識しか持っていなかったので、ちゃんと勉強してサッカーの仕事に就けたらなと思っていました。そんな折にコンサドーレ札幌に声を掛けてもらったので、Jリーグの現場で働けるならチャンスだと、とりあえず1年やってみようと飛び込みました。
入社2年目からはチームマネージャーとして働き、2007年5月まで続けました。2007年に、当時の上司が加茂周監督時代の日本代表チーム総務だったことからJFAからお声がけを頂き、せっかくJ2で1位になったのに…と思いながらも、シーズンの途中でコンサドーレ札幌を辞めて、JFAに転職しました。

画面キャプチャ

代表チーム担当当初は、ビビリまくって震える日々だった

2007年6月にJFAに入って、丸15年間SAMURAI BLUEのチーム総務を担当しています。長いですよね(笑)。正直JFAで働く話をもらったときはJFAって何をしているの?という感じでした。サッカー日本代表はもちろん知っていましたけど、当時はコンサドーレには代表選手もいなかったし、仕事でもJFAと関わることもなく、日本サッカー協会というものが代表チームを組織していることもよく知らなかったんです。
そんな状態で入ったのではじめは右も左も分からないし、仕事の内容もクラブチームとは違います。失礼ながら当時は代表戦もあまり観ていなかったので、知らない選手も多いし、日本を代表する年上の選手もいました。しかもオシムさんが監督になったチームに途中から入って、当時27歳というスタッフの中では一番年下の年齢でした。
でもチーム総務なわけだから、チームを引っ張っていかないといけない立場じゃないですか。しばらくはビビりまくって寝られなかったです。入ってすぐAFCアジアカップ2007に出場するための海外遠征があり、その大会は当時の総務担当の方がいたのですが、自分は英語もできないので毎日震えていました。でも自分でやるって決めたからにはやるしかないので、全力で取り組みましたね。
さらに、遠征から帰ってきたら先輩が異動してしまい、すぐに国際親善試合が迫っていました。アジアカップは全て先輩が準備していて僕はまだ何もやったことがなかったので、過去にチーム総務をやっていた先輩や周りのスタッフに教えてもらいながら、なんとか仕事を進めていった感じです。

相手によってアプローチを変える。選手に対する敬意を忘れない。

チーム総務の仕事における事務作業は誰でもできる、誰がやっても一緒の部分だと思うんですね。だからこそ求められるのはその部分だけではないと考えています。今僕が特に思うのは、監督との間に通訳が入ろうが、選手たちの個性が強かろうが、物事を動かすのは結局すべて「人」。一番大事なのは人だから、そこを一番気にして仕事に取り組んでいます。何度も言いますが自分はビビリなので(笑)、周りの様子を伺うんです。空気を読むというよりは、人をよく見ています。
例えば、同じ所を目指しているとしても人によってそこに至る考え方は異なったりします。スタッフも置かれている立場が違うし、選手で言えばレギュラーの選手、試合に出られていない選手とそれぞれです。なので「アプローチの仕方は相手によって違うのですが、特別扱いはしない。ゴールは一緒なので、ゴールへ運ぶという事は変えない」ことに気をつけています。難しいんですけど、そうでないと信頼をされなくなってしまうと思うので。

2010年頃には海外でプレーする選手は5人くらいでした。Jリーグ所属の選手ならやりとりは基本的にクラブが間に入っていて、代表活動中に選手と接する形ですが、海外移籍をした選手とは普段から直接本人とのやりとりが増えます。エージェントともクラブとももちろんやりとりはしますが、基本は選手と直接になるので、関係性を作らないと仕事がうまくいかなくなってしまいます。だから悪い意味で気をつかうのではなく、選手一人ひとりの考え方や感じ方を慮って対応するというか…。それぞれの考え方を観察して、一番伝わるようにと考えて気をつけて、ずっとそうしています。
選手にも言わなきゃいけないことは言う、必要なときには怒ることもありますよ。でも日本代表はトップの選手たちなので、どんなに若い選手に対してでも敬意を持って接するのは常に意識するようにしています。

あとは、仕事をする上で苦労するのはどんな仕事でも一緒だし、どうやっても難しいところがあって、うまくいかなかったときに次に何ができるかの切り替えをすぐにできることが重要かなと思っています。真面目な人はなかなかその切り替えが難しいのかもしれないです。自分は馬鹿なので、なにか起こっても「どうしよう!やばい!次!」って切り替えるんですよね。毎度反省はしてますよ。(笑)
どんな仕事も一緒ですが、僕たちの仕事は特に、できる準備は全てして問題なく終えられれば最高、でもなにか起こると想定しておいて、実際起こったときにどれだけ最良の対応ができるか、気持ちを切り替えて進んでいけるかが大事かなと思います。

選手と

仕事はコミュニケーション、全て人が相手。「どうにかして笑かしたい」

JFAの初の海外拠点のヨーロッパオフィスは一人体制なので、「JFAヨーロッパオフィスダイレクター」って勝手に名刺に書いています(笑)。
仕事内容は主にヨーロッパに拠点をおく日本代表選手たちのサポート、所属クラブやリーグとの調整です。基本はデュッセルドルフにいて、代表の活動があるときに選手と一緒にキャンプ先に入って、という感じです。普段の仕事はもちろん英語が多いですね。英語も上手くは話せないんですが、ドイツ語はまだまだいけないので…。
心がけていることは、日本人らしさ、真面目なところは見せつつも「どうにかして笑かしてやろう」ということ。無表情で話しはじめる海外の人をどうにかして笑かしたい。仕事は交渉事が多いので、コミュニケーションです。権利とか契約とかも色々ありますけど、引いちゃいけないところは引かない、舐められてはいけない、その上で笑かしてやろうと思ってます。全て人が相手ですしね。
あとは、選手は代表に全てをかけて戦ってくれているので、サッカー以外の部分で、家族のこととか普段の生活のこととかも相談されることがあり、それにも対応しています。

EUクラブでの仕事
ドルトムントはJFAのシートを用意してくれています(左)。ザルツブルグ(中)やサンプドリア(右)のスタッフとの1枚

ヨーロッパオフィスの設立と役割

海外に拠点を置く代表選手が増えて、海外にも拠点があると良いねという話がJFA内では前からありました。監督が海外の方だと自国に帰るときにヨーロッパの視察を兼ねていて、そこにチーム総務が合流していました。近年は監督を日本人が務めていることもあってヨーロッパでサポートがあると助かるということもありますし、海外を拠点にする選手が増えて、日本にいながら代表チームの仕事をするのは時差もあり苦労しました。
代表活動の際には選手約30人、30クラブとかに連絡をする必要があります。日本で夕方頃だとヨーロッパで朝、選手は練習などもあるので、本人やクラブと連絡が取れるのは日本の夜帯になって、そこからやりとりをしてまた朝には出社しなくてはならないというのが、時差くらい頑張れよと思うかもしれませんが、本当に大変でした。
コロナ禍でなかなか難しい部分もありますが、ヨーロッパにオフィスができて時差がなくなったことと、なにかあれば「じゃあ明日ちょっと行くね」と直接話せる距離にいるのはとても貴重な環境だなと思います。

コーチの視察
ヨーロッパでプレーする選手をコーチ陣が視察(本人提供)


オランダやベルギーに若い選手も多いし、空港も近くてヨーロッパの真ん中、交通の便が良いので拠点はデュッセルドルフに決めました。2020年春くらいに稼働し始めるのを目標に、空きオフィスを探したり、立ち上げの色々な手続きも現地の弁護士さんの手を借りながらやっていたものの…。コロナ禍でなかなか渡航のタイミングが難しく延期になりました。20年10月にヨーロッパで代表戦があったのに合わせて、家族とともに移住しました。それでもそこから半年間はロックダウンで、なかなかしんどかったですね。新しい海外の土地で知り合いも友達もいないし、一人オフィスでひとり暮らしだったらと思うと恐ろしいですね。メンタルがやられるタイプではないと思いますが、家族がいてくれたお陰でなんとか乗り越えられた感じです。

オフィス全体
ヨーロッパオフィスはこんな感じです(本人提供)

昨年は東京オリンピックの海外選手招集もありましたし、状況がよくなってきてからは、トレーナーさんが日本から来た際には選手たちもここに来たり、監督やコーチもヨーロッパ各地の選手や試合を視察するときの拠点にしたりと、オフィスもようやく機能し始めてきたかなと思います。

オフィス
代表チームのトレーナーさんが日本からヨーロッパオフィスへ出張。選手の体をケアすることも(本人提供)


全ての監督と「お疲れさま、ありがとう」で締めくくれている

クラブの時は6人の監督と仕事をして、JFAで代表を担当するようになってからは森保さんで7人目の監督です。ご一緒させてもらった監督とはみんな「お疲れさま、ありがとう」で終われていることは、自分にとって嬉しいことで、ほっとするし、良かったなと思えることのひとつです。ザッケローニさんも、ハリルさんもご飯に行こうと連絡をとったりしますし、今でもみんなと良い関係でいられているのは本当にありがたいことです。

監督と

日本代表をさらに上へ!(大事な場面では頭を丸めています)

プレーするのは選手ですが、ずっと代表チームと一緒に働く僕も、大会で上のランクまで進みたいという思いは同じです。もうひとつやり遂げたいことは、せっかくヨーロッパオフィスが動きだしたところなので、日本代表や日本サッカーのために次ステップに繋げられるよう、このオフィスが担える役割を増やしたり、大きくしていきたいと考えています。


ちなみに僕は、ここぞという時には坊主にしています。ゲン担ぎというほどではないですが結果がいいことが多いのと、初心を忘れずという意味で気合を入れてます。
そもそもはコンサドーレにいる時のチームの不祥事で頭を丸めたのが人生で初めてでしたが、その後はしていませんでした。JFAに入ってからは、2010年、自分にとって初めてのワールドカップの時に、スイス合宿の初日に気合を入れるために坊主にしたのが最初でした。初めてのワールドカップということもあるし、やれることをやりきった感はあって、色んな想いがあるなかすごくいいチームだったので、坊主にした印象は感覚がよかったのです。その後のアジアカップ2011でもカタール入り前日のホテルで坊主にして、結果チームは優勝したので、いいイメージが続いています。それからは長期の大会の際にはほぼ坊主にしていますが、選手たちからは見た目が怖いけど、見つけやすいからいいと言われます(笑)。
今はまだ最終予選の最中ですが、去年10月のアウェイでサウジアラビアに負けた時は、私が初心にかえっても仕方ないですが、初心にかえって気合を入れ直そうと坊主にしました。結果、その次の試合でオーストラリアに勝てたのでよかったです。見た目が怖いと妻は嫌がるのですが…、チームが勝ったことで妻に怒られなかったのもよかったです(笑)。

* チーム総務:スタッフや選手、監督のケアはもちろん、円滑なチーム運営のためのあらゆる手配や処理、調整など幅広くかつ必要不可欠な業務を担う。


【4/8追記】東スポnoteさんにこの記事のサムネイルと見出しをつけてもらうと…

先日、東スポnoteの中の人様と打ち合わせをさせて頂ける機会がありました。
この記事に共感いただいたとのことで(ありがとうございます!)、その上で「東スポならこう書く」を記事にしてくださいました。
SBの”中の人公認”の記事はこちら↓

印象に残ったワードでインパクトを狙うというよりも、実はロジックを積み重ねて見出しやサムネを作っているのだなと、とても勉強になりました。だからこそ扇情的な表現を導き出せるのだなと、プロの視点やスキルに感服しました。ありがとうございましたm(_ _)m