【あの頃、わたしはサッカーに夢中だった】第3回脚本家・金子茂樹さん
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【あの頃、わたしはサッカーに夢中だった】第3回脚本家・金子茂樹さん

あの人にはどんな景色が見えていたんだろう。

サッカーとの思い出は人それぞれ。
プレーしていた時のこと、当たり前に見ていた風景、その時感じたことのひとつひとつにドラマがあります。この企画では、各界で活躍する方にご自身のサッカーとの繋がりをお話しいただくことで、さまざまな角度から見える「サッカーの景色」をお伝えしていきます。

今回お話を伺ったのは、サッカー部のエピソードが随所に盛り込まれたテレビドラマ「コントが始まる」(日本テレビ系)を手掛けた脚本家金子茂樹さん。小学生から高校生までサッカーをプレーし、単身スペインに渡ってサッカーライターをしていたという金子さんに、これまでのサッカーヒストリーを伺いました。

金子茂樹さんプロフィール

走り続けた小学校時代

元々3つ上の兄がサッカーを習っていたのと、小学校1年生の時に地元に新しいサッカークラブができたのをきっかけにサッカーを始めました。当時の監督は23、24歳くらいで若く血気盛んで、平日は毎日朝練。夏休みはさらに昼の12時に集合してランニング。公式戦で勝っても内容が悪いと次の試合が始まるまでずっと走らされたりもしていたので、小学生ながらも過酷な練習だったと今振り返っても思います。ですが、その頃の経験は確実に自分の人格形成に影響を及ぼしていて、「少しのことではへこたれない」という精神力が鍛えられたと思っています。中学校でもサッカーを続け、高校は強豪だった八千代高校に進学。高校3年生のインターハイ(全国高校総体)でベンチ入りこそしていたものの、試合には出られず、この先選手としてサッカーを続けていくのは難しいと感じました。

思い立ったら即行動、身ひとつでスペインへ。

大学生になってから、スポーツ雑誌『Number』で日本代表の記事を読み、サッカーライターという仕事があることを知りました。いても立ってもいられず、Number編集部にサッカーライターになりたいと手紙を出し、さらに僕が読んだ記事を書いていた金子達仁さんご本人宛にも履歴書と手紙を送ったんです。それからしばらくして金子さんから直接電話があり、雑誌『サッカーダイジェスト』編集部の方との飲み会に誘われました。たぶん、雑誌の編集部に入り、何年か経験を積んだ後でサッカーライターになる道があることを教えてくれたのかなと。飲み会の翌日、次は「編集部に入りたい」と知り合ったばかりのダイジェスト編集部の方に電話で直談判。「欠員が出ないと採用できない」と断られましたが、いつ出るかわからない欠員を待っていられない、どうすればすぐ雇ってもらえるかと考えた時に、頭に浮かんだのがトップレベルのプレーヤーが集まるスペイン。スペイン語が話せたら有利だろうと思い、大学を2年で中退し、身ひとつでスペインに渡りました。

サンチェスピスファン2

スペイン/セビージャのスタジアム、エスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスファン(本人提供)

スペインではバルセロナの近くのリェイダという街に住んでいたのですが、その街のUEリェイダというチームに日本から来た安永聡太郎選手がいました。彼の試合を見に行き、練習後に話をするような関係になったところで、再びサッカーダイジェストの編集部に電話。そこでやっと安永選手のインタビュー記事を書いてくれというオファーをいただき、念願のサッカーライターとしての一歩を踏み出しました。スペインから1枚500円もするFAXで手書きの原稿を送り、初めて記事が載ったときは夢がかなったと、小躍りするくらい嬉しかったです。

金子さん写真

10日間で書いた「ヤングシナリオ大賞」の作品から脚本家に

一方で安永選手と接しているうちに、サッカー選手という職業があまりにも羨ましくなってしまって。サッカーライターという仕事は、サッカー選手がいないと成り立たない。本当にライターでいいのかという気持ちが止まらなくなってしまいました。そして、念願のライター仕事ができたその一ヵ月後、やりたいことはこれじゃないと帰国を決意。ですが、ちょうどフランスでワールドカップが開催されていたので、現地で見てから日本に帰国しました。
帰国後は「俺は何がしたいんだ」「本当にサッカーライターじゃなくていいのか」と自問自答の日々。書くことは好きだったので、書く仕事を列挙していきました。その中で脚本家について調べていると、1時間の中で人を楽しませることは自分にも考えられそうだなと思ったんです。それからすぐにコンクールに応募してみたんですが、もちろん、一次選考にも残りませんでした。その2、3年後に受講していた「コピーライター養成講座」の箭内道彦さんの授業がきっかけで、コンテストで最終選考まで残るものを書いてみようと思いました。ちょうどフジテレビのヤングシナリオ大賞の締切が10日後だったので、10日間で作品を書き、大賞を受賞。それが脚本家としてのスタートになりました。僕自身ドラマを見ないので、見ない人の気持ちは分かる。そういう人たちが一度チャンネルをつけたときに変えない、面白いと思うものはどんなものかと思ってシナリオを書きました。

連ドラが始まる前は走り込み! 半年前から月に100キロ

脚本の仕事は我慢強さが必要な体力仕事です。連続ドラマは本格的に書き始めると半年以上作品にかかりっきりになり、寝られない日もあります。日々撮影が迫ってくる中で、締め切りまでに書かなければならないというプレッシャーに耐える精神的な体力と、肉体的な体力の両方が必要です。そのために連続ドラマを書き始める半年前から月に100キロくらい走り込むんです。書き終わっても完成ではなく、そこから何度も手直しをするので、やっぱり最後はやり切る根気なんですよね。ここでいいや、と思わないところが勝負。体力がなくなると、諦めが早くなるような気がします。最後まで続けられるのは、やっぱり走り続けた小学校の頃の日々があったから。それに小・中学校ではレギュラーでしたが、高校時代は長い補欠暮らしだったので、日向と日陰の両方を経験できたことは脚本家としても一社会人としても貴重な財産になっています。そういう意味でもサッカーに出会えて本当に良かったと思います。



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