選手がまとう“戦闘服”でチームを鼓舞する。ユニフォーム開発担当者と #サッカーがつなぐもの は…?
サッカー日本代表に力を与えるユニフォーム。FIFAワールドカップ カタール 2022™ で日本代表が着用するユニフォームの開発を担当したアディダス ジャパンの高木将さんは「選手が身にまとうものに責任をもつ仕事はそれだけで情熱が湧いてくる」と語ります。
日本サッカーの発展を担ってきたJFAと、1978年から日本代表を応援し続けるキリンが共同で、サッカーの持つ力を紹介するnote連載「 #サッカーがつなぐもの 」。
第4弾は、「選手の戦闘服」という側面からサッカーを支える仕事について、高木さんにお話しいただきました。
【プロフィール】 高木 将(アディダス ジャパン株式会社 アディダス マーケティング事業部 カテゴリープランニング マネージャー)
アメリカの大学院でスポーツマネジメントを学び、2013年にアディダス ジャパン入社。学生時代には名古屋グランパスのアカデミー(U-12・U15)に所属してサッカーに打ち込んでいた。趣味は将棋で、サッカーとの共通性も感じながら楽しんでいる。
自分の手で手繰り寄せた今の仕事
2013年にアディダス ジャパンに入社して、はじめはサッカーとは関係のない仕事をしていました。入社時からサッカーに関わる仕事がしたいと言い続けて根回しもして(笑)、社内公募で試験を受けて、サッカーの部署に配属されました。学生の頃から希望していた仕事に、三度目、四度目の正直でようやくたどりつけました。
今の担当業務はサッカー分野のウェアや用具すべてについて、日本国内での最適な商品ラインナップを決めることです。基本的にはアディダスのドイツ本社が幅広く様々な商品を作りますが、その中から「いつ・どこで・何を・どれくらい」国内で展開するか、商品の構成を決めます。
また、サッカー日本代表やJリーグクラブのユニフォームの制作も私の仕事です。これは私たちが一からつくるもので、JFAやJリーグクラブと一緒に、コンセプトやデザインを考えて形にしていきます。
ずっとサッカーをやっていて、それを仕事にしたかった
サッカーは年長の頃に始めました。地域のクラブで友達とサッカーをするのがとにかく楽しくて、ボールを蹴る機会がもっと欲しくて小3・4くらいのときに名古屋グランパスのスクールに通い始めました。高学年になってセレクションにお声がけいただいて、名古屋グランパスのアカデミーに入りました。
もちろん小さい頃はプロサッカー選手になりたいと思っていました。でも高校生くらいになると自分が選手としてやっていくのは厳しいと思いはじめ、それからはずっとサッカーに関わる仕事がしたいと考えていました。
大学やアメリカの大学院でスポーツマネジメントを学んで、サッカー関連のスタートアップでインターンもしました。アメリカから帰国して就職したのは食品メーカーでしたが、間接的にでもサッカーに関わりたいという希望を持って働いていました。
もともと私はスパイクにも思い入れがあったり、ユニフォームも集めていたりしていたんです。それで自然と生まれた「モノ」に関わる仕事がしたいという思いも、アディダスを選んだきっかけになりました。
2022年8月29日発表「ORIGAMI」コンセプトの日本代表ユニフォーム
代表ユニフォームの開発担当をするということはアディダスの中でも、とても大きな意味を持ち、皆に注目されることです。上司から2022年モデル担当は自分だと伝えられた時のことは鮮明に覚えています。それを一つの大きな目標にして働いていたので、担当させていただけると決まった時は本当に嬉しかったのと同時に、大きな責任も感じました。
ユニフォームの開発で一番苦労したのがコンセプトの決定です。元々自分の中にあったアイディアを、より多くの人に伝わるストーリーとして完成させるまでに、長い時間をかけました。
私はサッカーをやっていた分、選手側の視点や思いへの理解はそれになりにあると思いますが、一方で日本代表のユニフォームともなれば、選手経験のない方々をも巻き込んでいかなくてはなりません。サッカーにあまり興味のない方々にも話を聞いて、視野を広げることも意識しました。
2002年の日本・韓国共催大会の決勝の地で歓喜の瞬間を彩った折り鶴は日本の文化の象徴でもあります。「折り紙」の展示をサッカーミュージアムで見たときに、それまで有力候補の一つでしかなかった「ORIGAMI」を、コンセプトとして採用することが私の中で確定的になりました。
モノに潜むストーリーや歴史が好き
2021年の「サッカー日本代表100周年アニバーサリーユニフォーム」も印象に残っている仕事です。これまで築き上げてきた100年の歴史というのはとても重いものです。私はモノに潜むストーリーや歴史が好きなのですが、サッカー協会が設立された当時のことやその後の歴史などを、何冊も本を買って勉強しました。
(100周年モデルの元にもなっている)1936年のユニフォームをサッカーミュージアムに見に行き、当時のデザインを現代的に再現したいと強く感じました。
ユニフォーム制作においては様々な規定や制限がありますが、日本サッカー協会の100周年を飾る記念ユニフォームであるということでドイツ本社からも多大なサポートを得ることが出来ました。
実は襟の再現などは最後までギリギリの調整が必要だったのですが、苦労の分だけ今となってはとても思い入れがある部分です。
このユニフォームが着用されたのは無観客試合で、現地に行くことは叶いませんでした。それでも選手たちが着ている姿をテレビや集合写真で見たときには鳥肌がたちました。とてもやりがいを感じた仕事のひとつです。
サッカーへの情熱が仕事の原動力
言葉にすると陳腐になってしまいますが、サッカーに対する情熱が私の原動力です。身近にプロになった選手もたくさんいて、彼らの努力や苦労も知っている分、選手たちへのリスペクトも強く感じています。
ユニフォームは彼らの戦闘服です。選手たちが身にまとうものに責任をもつ仕事は、それだけで情熱が湧いて来ますし、その仕事には全力で取り組めるという自負があります。
ワールドカップに向けては、選手たちの目標達成のために最大限のサポートをしたいと考えています。新しい景色を選手たちと一緒に見るために、チームが鼓舞されるような環境づくりを、スポーツブランドとして惜しまずにサポートしていきたいです。
日本代表のユニフォームの開発という、自分がずっとやりたかった憧れの仕事をすることができました。それでも、もしチャンスがあるなら、もう一度日本代表のユニフォームを担当したいです。
また、日本国内だけでなくて海外へも視野を広げて仕事をしていきたいと考えています。商品を軸に、日本発信でアジアにサッカーを広げていくような仕事をやっていければ嬉しいです。
写真:高橋 良美
⚽
(ユニフォーム開発担当者と #サッカーがつなぐもの は…)
中学時代に一緒にプレーしていた2人が約15年後に同じ場所で、それぞれの役割で目標に向かう「サッカーがつないだ」シーンがありました。
吉田選手に新ユニフォームについて説明する高木さん。実は吉田麻也選手とは名古屋グランパスのアカデミー時代の先輩・後輩で一緒にプレーをしていたそう。
「当時は吉田選手はボランチで、私の中ではボランチ麻也というイメージ。彼は先輩から可愛がられて、後輩からは慕われて、チームのまとめ役でした。裏表なく素直な人間性は今も変わっていないなぁと思います」
アディダス サッカー日本代表 アイテムページはこちら