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【永井玲衣さん、サッカー通への道。】第3回 いよいよスタジアムで試合観戦をする。

仕事であれ趣味であれ、自分に縁遠いと思っていたことでも、思い切って触れてみることで意外な面白さを発見することがあります。この企画では、幼少期から現在までもっぱらスポーツに疎い人生を送ってきたという哲学研究者の永井玲衣さんに、初めて試合観戦を体験してもらい、その紆余曲折を全4回のエッセイで綴ってもらっています。
第3回は、いよいよ試合を見にスタジアムへ。5月28日に千葉県のフクダ電子アリーナで行われた日本代表 対 ミャンマー代表の試合を訪れた永井さん。“地図の視点”と“自分の視点”を重ねることに苦戦し、やっとのことでたどり着いたスタジアムの観客席は、高くて会場全体を見渡すことができる、まさに“神の視点”でした。 
※この試合は無観客で行われましたが、永井さんには記者席で試合をご覧いただきました。

駅の改札を出たところに掲示されている大きな地図の前に長い時間立っているひとがいるが、あれはわたしだ。

地図が読めない。読めない、というか〈わたし〉の視点に落とし込むことができない。なぜなら地図とは、神の視点だからだ。神の視点を用いながら〈わたし〉の身体で街を歩くことができない。神のような力を手に入れたいと思っているひとがもしいるのならば、地図を見ることをおすすめする。

もしくは、サッカーを見るとよい。観客席。あれは神の視点である。

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スタジアムで試合観戦をすることになった。

当然のことながら、初体験である。編集者さんから届いた詳細メールに「FIFAワールドカップカタール2022アジア2次予選兼AFCアジアカップ中国2023予選vsミャンマー代表」とあるが、国名が多すぎて、結局どこと対戦するのかがわからない。未知の領域を前にすると、読解力も低下してしまう。

スタジアムは千葉のフクダ電子アリーナという場所だという。経路を検索すると、乗ったことのない電車に乗り「蘇我駅」という駅で下車する必要があるようだ。

蘇我駅。フクダ電子アリーナというSF的な響きの謎の建物が、いにしえの飛鳥時代を想起させる「蘇我」駅に建っている。魅惑的だ。

さらに色々と想像は膨らむ。はたしてたどり着けるのか。現地で待ち合わせしてくれるという編集者さんは、本当に存在しているのか。すべてが非日常に思えてくる。


いろいろなことを心配しながらも、ふと気づく。試合観戦しに行く人は、みんなこれを経験するのだ。時間を計算し、誰かと待ち合わせをし、電車に乗り、見知らぬ駅で経路を調べ、これから体験できる試合に思いを馳せる。なんだ、想像してたより、ずっとずっと、始まる前から楽しいじゃないか。

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「帰るまでが遠足」とはよく言うが、向かう途中からわたしのサッカーは始まっている。ドアップの着ぐるみ動物(※編集部注:フクダ電子アリーナがホームスタジアムのジェフユナイテッド市原・千葉のマスコット、ジェフィ&ユニティ)の「ようこそ!蘇我へ!」看板に迎えられ、フクダ電子アリーナを目指す。だが、冒頭に書いたようにわたしは地図が読めない。手元でグーグルマップを永遠にぐるぐると指で回し、遠くに見えているスタジアムは、いくら歩いても近づくことができない。まるでフランツ・カフカの『城』だ。

それでも何とか到着し、観戦席に案内してもらう。新型コロナウイルスの影響で無観客のため、贅沢にがらんとした席で見ることになる。驚くべき広さだ。試合前にウォーミングアップをする選手たちが遠くに見える。そしてその周りでせわしなく動く、人、人、人、人。一つの試合のために、こんなにも多くの人が様々な仕事をしているのかとおどろき、泣きそうになってしまう。

試合が開始され、広大なフィールドを選手たちが演舞するように動き回る。だがそれは決してただの混沌ではない。彼らは、俯瞰した神の視点や、誰かの視点、自らの視点を絶えず描きながら、誰がどこにいて、どうボールがまわってと判断し、自らを表現しつづけるのだ。

それをわたしは、高い高い観客席から見ることができる。わたしの視点は固定されたままで、選手たちからの試合中のめまぐるしく変動する視点を想像することはできない。きっと、想像もできないほど過酷で、静謐(せいひつ)で、激烈で、うつくしい光景なのだろう。

一方で、観客席に座りつづけるということは、神のごとく傲慢にまなざすことでもあるが、「見る」ことを享受できることでもある。

観客席まで届くような大声をはりあげる選手たちのはりつめた首筋。シャッターを切り、確認のためカメラをのぞきこむフォトグラファーの手付き。心配そうにちらちらと動く相手選手チームの監督の靴。ボールを真っ直ぐ見つめながら、近くの相手選手を警戒する背中の反り。 モニターをのぞきこむたくさんの大人たちのゼッケン。ポトリと落とされた、ある選手の飲みかけのペットボトルの水。

カメラを通してではない、わたしだけの「見る」が可能なスタジアム観戦。戦術や選手の特質に詳しくなればなるほど、わたしの目もまた「見る」がより可能になっていくのだろう。

夜の報道番組で数秒間流れるサッカー映像は、多くの場合ゴールの瞬間やスーパープレイだ。たしかに高揚させられる。だが、サッカーとはきっと、もっと文脈のある全体性なのだ。

そんな当たり前のことにようやく気がついたとき、蘇我駅に着いた時のマスコットの看板が目の前によみがえる。手招きをしているような気がして、目を凝らし、耳を澄ます。

「ようこそ!サッカーへ!」と彼らは言っていた。

永井玲衣さんプロフィール