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料理でつながったサッカーとの不思議な縁。西芳照さんの #サッカーがつなぐもの

日本代表のシェフとしてチームに帯同し、ワールドカップは次のカタール大会で5大会目となる西芳照さん。「ベスト16の壁を超えたい。選手たちの夢に近づくよう、少しでも手助けができたら」と語ります。

日本サッカーの発展を担ってきたJFAと、1978年から日本代表を応援し続けるキリンが共同で、サッカーの持つ力を紹介するnote連載「 #サッカーがつなぐもの」。
第3弾は、西芳照さんが代表チームを支える食事について語ります。

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【プロフィール】 西芳照
1962年福島県生まれ。高校卒業後に上京し、京懐石などの料理店で和食の修行を積む。97年、福島県に開設されたJヴィレッジのレストランに勤務し、99年に総料理長に就任。
04年3月に日本代表の専属シェフとして初めて帯同し、以来、ワールドカップ4大会を含む50回以上の日本代表の海外遠征試合に帯同。選手たちの緊張をほぐし、食欲の湧く食事に工夫を凝らすなど、食で選手を支えている。
公式YouTube:NISHI's KITCHEN

大学受験の失敗で開かれた料理人への道

大学受験に失敗し、上京して予備校に通っていたときのこと。友達の居酒屋が忙しいから手伝ってくれないかということで、アルバイトを始めました。最初はホールで配膳の仕事から始めて、他の仕事にも興味を持って調理もやらせてもらえるようになり、居酒屋の仕事に夢中になって予備校に通い始めたその夏には受験はもうしないと決めました。

子供の頃にチャーハンを作ったくらいで、それまで料理は全くしてこなかったんですが、毎日新しいことを覚えるので日々楽しかったです。翌年には正社員になりました。

生まれ育った福島の南相馬の実家は目の前に畑があって、母や祖父母が作った野菜を朝晩食べて、自然が豊かなところで育ちました。おかげで舌が鍛えられたんでしょうね。野菜の素材の味や、お米も田んぼによって味が違う。

違いがわかる環境にいたことで舌が敏感だったのが料理人に向いていたのかもしれません。あとは手先も器用な方でした。体を動かして、ものを作るのは性に合っていました。

Jヴィレッジの誕生からサッカーの世界へ

茶懐石、お寿司、フグ、鰻など、和食を中心に修行を積んできた中で、地元の福島に日本初の総合的なスポーツ施設「Jヴィレッジ」ができると聞き、従業員の募集に応募して採用されました。1997年、35歳のときです。

施設を利用するスポーツ選手のために、試合前のトレーニング期はタンパク質をたくさんとりましょう、といった体作りのための食事を作るのは初めての経験で、回転釜での大量調理もこれまでとは全く違う世界。管理栄養士さんから、スポーツ選手に料理を提供する栄養学を学びました。

日本代表選手のほか、2002年の日韓ワールドカップではアルゼンチン代表チームがキャンプ地としてJヴィレッジを利用し、その際に食事を提供したこともあります。

そういった実績から、2004年に日本代表チームのシェフとして帯同してくれないかと声がかかり、SAMURAI BLUEのチームの一員になりました。

私自身、中学は剣道、高校は山岳部と、これまでサッカーとは無縁の生活を送っていたので不思議ですね。ワールドカップはこれまでドイツ、南アフリカ、ブラジル、ロシア大会を経験し、次のカタールで5大会目になります。

お米は100キロ超!異国の地でも日本の味を

日本代表に帯同し始めたころはまだ海外組も少なく、海外での食事に慣れている選手も少なかったので、遠征の際には普段日本にいる時と同じような食事環境が求められました。

遠征先での食事のメニューは、試合の前々日は銀鱈の西京焼き、前日はうなぎ、といった決まっているものもありますが、基本的には現地のホテルのシェフと話して、ホテルの冷蔵庫や冷凍庫を見て決めたり、こういった食材を使いたいけど手に入るか、といったコミュニケーションをとって決めています。

チャーターフライトでないときは基本的に食材は現地調達で、日本から持っていくのは現地で手に入れるのが難しいもの。日本からお米を持っていくときは、1日13キロを消費するので、30キロを3-4体持っていきます。現地では、港が近いと市場まで行って魚を買うこともあります。

ステーキは毎日昼夜出していますが、炭水化物をたくさん取ってもらうために、何をメインにするかが大事ですね。あとはビュッフェ形式なので、並べる順番も大事です。血糖値をあげないために、最初に野菜、サラダを食べてもらうように並べて、その後お肉、お魚二種類くらいとおかず、ご飯、お味噌汁、フルーツ…と置いています。

ワールドカップで印象深い出来事は南アフリカ大会の高地対策ですね。
酸素が薄くなるのでヘモグロビン(鉄分)を多く取って、酸素を多く供給しようと、鉄分をお味噌汁に入れたり、鉄分の多いレバーや赤みの魚、ほうれん草や青菜、小松菜などの食材を毎食取り入れて出したりしていました。

選手たちの「お母さん」として、夢に近づく手助けを

選手を見ていると、活躍している選手の真似を周りがし始める、といったことがあるんですよね。それまでサラダはワンプレートに少し載せる程度を食べていたのに、当時セルティックで活躍していた中村俊輔選手が大盛りのサラダをナイフとフォークで食べ始めたらみんな真似をして同じ食べ方をしたこともありました(笑)

選手のことはもちろん尊敬はしていますが、普通の人として接しています。代表の選手だからといって上下はなく、お店のお客さんと同じような目線で、どうやったらたくさん食べてもらえるか、喜んでもらえるかと思いながら料理を出していることに変わりはありません。

大事にしているのは「お母さんに選手たちの食事の心配をさせないように。お母さんの目線でいること」。
お母さんたちは、子どもたちのために朝晩のご飯を作って、お弁当を作って、休みの日もお弁当を作って試合の応援にいったり遠征に行ったり。自分のことよりも子どもを想うお母さんと同じ気持ちで選手たちと接して、勝ち上がって欲しいと願って料理を出しています。

どの選手も、日本代表になるために小さい頃から他のことを投げうってでも努力を続けてきた人たちばかり。その人達が活躍して、ベスト16の壁を超えて日本中をいい空気に包んでほしいです。
これまでのワールドカップでSAMURAI BLUEは、風当たりが強いときもみんなで一致団結してきて、それを乗り越えてきました。そんなにうまくいくとは限らないけれど、みんなの夢に近づくように少しでも手助けがしたいですね。

写真:佐々木信也

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